門田 優里(かどた ゆり)
を詳しくご紹介します!
このBRAIN治療院の場所は、祖父母の家を改装して治療院にさせていただきました。
わたしは幼少期から祖父母によく預けられて、祖父母のことが大好きでした。
理学療法士を志したきっかけは祖父であり、この治療院をスタートしたきっかけはコロナ感染により急死した祖母の存在でした。
コロナによる突然の変化には心がついていけない時期もありましたが、祖父母を大切に想う気持ちを川西の皆さまの体と心の健康のために尽くしていきたいという決意になりました。
この治療院を祖父母が暮らしていた時のように、地域の皆様に愛され賑やかで温かい場所にしたいと願っております。
大好きな祖父母のような高齢者のサポートができるように、これまで日本で最先端の回復期リハビリ専門病院に勤務してきました。また、高齢者の体力維持増加のためにシニアヨガの資格取得や、高齢者の過ごしやすい住宅のための福祉住環境コーディネーターの資格を取得しております。
振り返ってみると、全ては高齢者や回復期リハビリの患者様のために知識習得してきました。
最先端のリハビリ病棟で鍛えた回復期リハビリについてや、高齢者の暮らしに合わせて習得した知識についても、きっと川西の地域の皆様にお役に立てると信じております。
祖父母にもっとしてあげたかったことが、わたしの土台になっています。
この地域の皆様、高齢者の皆様に、その技術と経験を役立たせていただければと思っています。
このページでは、ちょっと詳しすぎるくらいの(笑)、プロフィールをご紹介いたします。
大切なお体を任せるのに、どんな人が施術するのか気になると思います。
ご新規様にとっては初めての場所に緊張することもあるかもしれません。
ということで・・・、少し照れくさいところもありますが、幼少期からのプロフィールをまとめさせていただきました。
どうぞ昔からの友人知人のように身近に思っていただき、少しでもリラックスして御来院いただけると幸いでございます。
幼少期
1983年に京都で生まれる。
両親が共働きであったため、日中は祖父母宅に預けられる日々を送り、祖父母の愛情をたっぷり受けて育ちました。
幼少期は日が暮れるまで公園で遊び、女の子らしい遊びよりも男の子に混じって遊ぶおてんば娘でした。
父の影響もあり年中昆虫採集をし、夏休みの課題研究で表彰されたことも。
ピアノ、バレエ、スイミング、そろばんなどの習い事をしていました。
中学校
中学校ではバスケットボール部に所属していました。
わりと目立つのが好きなタイプで生徒会に立候補し、役員を経験しました。
高校生活(祖父の死・母の姿から医療の道を志す)
高校ではバトミントン部部長を務めました。男女混合のクラブで楽しく活動できました。
そんな中、幼少期から自身を可愛がってくれた大好きだった祖父が癌によって他界しました。病気が見つかった時は致命的で手の施しようがなかったようです。
特に祖母は大きなショックをうけていました。祖父を看病し、意識を失うその瞬間まで傍にいた看護師であった母の姿をみて、自分も将来医療に携りたいと決意しました。
その中で、父の勧めもあり、現場で働く理学療法士の仕事を見学し、自身が理学療法士になり、腰痛に悩む祖母の力になりたいと思いました。
実際の医療現場での衝撃。そして・・・
理学療法士を目指し、通学した学校で、臨床実習を経験しました。実習に行った先で初めて担当した患者様を通して、現在の医療現場に衝撃を受けました。一人の方とじっくり関わる時間がないこと、人権を無視したような発言をかけているスタッフに嫌悪感を抱きました。
その経験を基に、患者様の心に寄り添う医療に携わりたいと強く思うようになりました。
回復期リハビリの最先端医療現場での経験〜回復期リハビリの新病棟の立ち上げ
就職活動当時、回復期リハビリテーションの最先端と言われる、東京都渋谷区初台リハビリテーション病院を見学しました。
初台リハビリテーション病院のホスピタリティの精神を初めて知り、感銘を受けました。その病院で、回復期のリハビリテーションについて学び、脳梗塞後遺症やパーキンソン病、脊髄損傷の患者様、整形外科疾患のリハビリテーションに関わりました。
そこで治療技術についてはもちろん、障害を受けた患者様が様々な葛藤を抱き、苦しんでおられる時期に寄り添えたことは今でも大きな財産となっています。
その後、地元であった関西に戻り、協和会千里中央病院に就職しました。そこで回復期リハビリテーション病棟の立ち上げに携わりました。新しいスタッフと一から作り上げていく経験は苦労もありましたが、自分にとって大きな自信となりました。
結婚・出産・育児を経て復職(がん患者様との関わり)
さらに、現在の夫と出会い、結婚、出産を経て、双子の娘を育てながら復職をしました。
なかなか大変な毎日で、頻繁に娘たちの体調不良で仕事を休まざる負えず、自身がなんのために働くのかわからなくなる時期もありました。
その際に慢性期病棟、ホスピス(終末期)で癌患者様を担当しました。癌患者様とのかかわりの中で、一日一日を生きる大切さを学ばせて頂きました。
訪問医療の世界へ(在宅医療の課題を知る)
病院から在宅へ帰って行かれる患者様をみていて、在宅医療に興味を持ち、訪問看護ステーションでの訪問業務に携わりました。
在宅では社会とのつながりが途絶えた方も多くおられ、身体的な障害の他にうつ病など精神的な問題を抱えておられる方が多いことに驚きました。
そのような方と信頼関係を作り上げていく大変さもありましたが、私を家族のようだと言っていただけた時は、この仕事をしていてよかったと思えた瞬間でした。
また、在宅でのリハビリテーションを進める中で、症状が改善すると介護度が改善し、サービスが受けられなくなるといったジレンマを感じておられる患者様がおられることを知りました。
祖母の急死・開業・地域への想い
新型コロナウイルスの大流行により、大好きであった祖母が急死してしまいました。祖母はこの場所で学習塾をしており、たくさんの生徒さんを志望校へ導いたと聞いています。
学習塾を引退した後は、俳画の先生に来ていただいて俳画教室をしていたり、いつも玄関は鍵があいていて、ご近所のかたや友達が毎日のように通うそんな場所でした。
私にとっては親友のような、師のような存在で、困ったことがあった時には電話して相談にのってもらったこともありました。
今はなき祖父母の愛したこの家や地域で祖母がしていたように、様々な方が集まってきてくださるそんな場所になればと思っております。
BRAIN治療院の代表「門田智憲」
の自己紹介についても…
\\ ぜひご覧くださいませ //