今日は私にとって特別な日です。
大好きな人との別れの日でした。
ちょうど1年前の今日、兵庫県においても新型コロナウイルスが大流行する最中、祖母はその病に倒れました。
祖母は長い間、脊柱管狭窄症という病気を患っておりました。
痛みをだましだまし生活をしておりましたが、ついに歩けなくなり、手術することになりました。
手術は成功しましたが、無理がたたったようで、下肢に強いしびれと感覚障害が残りました。
それでも、術後のリハビリの成果で家の中は歩行器で歩き、屋外も同様に歩行器を使って一人で歩けるまでに回復しました。
「大好きな祖父と暮らしたこの家で、人に迷惑をかけずに、最期まで生活したい」
それが祖母の切なる願いでした。
とても芯のある強い祖母は、生活に限界を感じながらも亡くなるその時までその思いを貫きました。
私が祖母に最後にあったのは、3月26日。
最寄りの眼科へ受診の付き添いを頼まれてのことでした。
歩いて数100mもない距離にあるクリニックでしたが、数週間前に自宅玄関前の階段で転倒したこともあって、屋外を一人で歩くことが難しくなっていたためでした。
理学療法士である私は、祖母の手となり足となることは容易なことであったため、喜んで付き添うことにしました。
家の前の公園の桜の芽は、まだ硬かったですが、春の気配を感じる暖かい穏やかな日でした。
「来週末、友達とお花見しようっていってるのよ」
「どうやろー?来週はまだ咲いてないかもなあ」
「ちょっと先にのばそうって相談してみようかな」
なんて話ながら、車いすを押し、桜並木を歩いていると
「優里ちゃん(私)となら歩行器で歩けると思う。数mでいいから歩きたい。」
と。
私自身も、きっと大丈夫であろうと思ってはいたが、家族中が祖母の転倒を心配していた最中 ‘’もしものことがあったら‘’と思い
「おばあちゃん、今日はやめとこう。もう一人助っ人がいる日にしとこう。」
と祖母の頼みを断りました。
その夜、私が帰った後、自宅のキッチンで転倒し、頭部を打った祖母は救急搬送となりました。その数週間後に新型コロナウイルス陽性となり、帰らぬ人となりました。
今でも後悔していることがあります。
あの時、なぜ祖母の「歩きたい」という願いを叶えてあげることができなかったのか。
「優里ちゃんとなら歩けると思う」という私への信頼を感じていたのに…。
人に迷惑をかけずに最後まで住み慣れた場所ですごしたい
最期まで自分の足で歩きたい
それは誰しも願うことではないでしょうか。
今年も治療所の前の公園が満開になる季節になりました。
桜並木のこの道を歩くと、祖母の叶えたかった願いが今でも聞こえてくるような気がしてなりません。
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